HOME > バングラデシュ アパレル工場崩壊事故

2013/5/13 月曜日 6:40 PM

2013年4月24日、バングラデシュで衝撃的な事故が起きました。

地震でも暴風でも爆弾テロでもない平日の昼間、

突如バングラデシュのアパレル工場が ガラガラガラ と崩壊。

死者1200人以上、重軽傷者は2300人、行方不明者500人。

災害とテロを除き、史上最悪の事故となったバングラデシュ・サバールの工場崩壊事故の話です。


バングラデシュ首都ダッカ、

北東部に位置する工業地区「サバール」(現地発音はシャバール)。

ここはアパレル輸出世界第二位にまでのぼり詰めたバングラデシュの中でも

特にアパレル工場が多く集積する地区。

この地区はダッカでも郊外に位置するはずなのに、

周囲には5階建て、6階建ての巨大な建物が立ち並ぶ。

日本人からすると学校か巨大商業ビルかのように感じるが

実は全て「アパレル工場」


その中でも一際際立つ建物「ラナプラザ」はそこにあった。

なんと周囲の建物の2倍、9階建ての建物は

現地でも有名な建物だった。


一つはその高さ、一つは地元では有名なオーナーMr, RANA, そして、

いつか崩れるのではないかというその不安定さ。


4月23日、運命の日の前日、予兆はあった。

ビル全体に亀裂が入っていた。

工場の人たちは恐怖を感じ、一時全員外に避難をした。

しかし、そこに、一人の小太りな男が現れた。

Mr. RANA, この建物のオーナーでもあり、アパレル工場のオーナーでもあり、そしてこのシャバール地区選出の政治家でもある。

彼は何があったのかを聞くと、突然に大きな声を張り上げこう言った

「お前たち、何をしているんだ!早く職場に戻れ!この建物は大丈夫だ、壊れる事などない!あと100年は持つんだ。」

RANAは分かっていた。そんな事はないと。100年も持つはずはない。

なぜなら、元々このビルの設計は4階建てだったのだから。なのにアパレルの仕事がどんどん増えたから、無理やり上にフロアを継ぎ足したのだから。それに鉄筋など金のかかる建材はどんどん省いたのだから。

しかし、それでもラナは焦っていた。無理にでも工場を稼動させなければならない事情があった。それは主要顧客からの納期の締め付け。

ただでさえ、4月はバングラデシュでデモ活動が多く、アパレル生産の計画は遅れに遅れていた。ヨーロッパのバイヤーからは毎日催促が続く。そしてこれ以上遅れたら取引を停止するといわれていた。ここで工場を止めるわけにはいかない。

そしてこう叫んだ

「明日も予定通り稼動する。こない奴はこなくてもいい。そのまま永遠に来るな。代わりはいくらでもいるんだ」

その日はなんとか無事に業務は終了した。しかし建物の壁に目をやった誰もが感じていた。さすがにそのうち崩れると。

その夜、全ての女性たちは家で考えた。明日工場に行くべきか否か

しかし、多くの女性は、それでも働きに出ることを決意した。いかざるを得なかった。

行かなければ仕事を失う。仕事を失えば実家の家族に仕送りができない。仕送りどころか、今月の家賃も払えない。私の給料は約4000円。でも家賃はそのうち1000円。食費でも2000円ほどは使っている。家賃を払えなかったらどうなる?この家のオーナーは誰か覚えているか?この地域を仕切るマフィアだ。払えなければ同部屋のあの子が払わないといけないことになる。それでも払えなければ、、、良くてレイプ、最悪は殺されて隣の川に流されるだけ。他に選択肢はない。もう月末に近い。なんとか月末まで乗り切りたい。


そして運命の日。

いつも通り、女性たちはあの工場ビルに集まった。その数4000人。朝から順番に、この心もとないビルに入っていく。ある人は神を信じて、ある人は覚悟を決めて。

そして、全員が揃い、稼動が始まる。全員が一斉にミシンの前に座り仕事を始める。工場の消費電力量が段々と増していく、いつも通り公共電力の限界に近づく。そしてバックアップのジェネレーターの稼動が始まり、巨大なジェネレータが爆音を放ち出す。その時

「ゴゴーン」

一瞬だった。積み木が崩れる瞬間、まさにそれと同じだった。

建物の中には鉄筋など全くなく、乗せただけの積み木のバランスが崩れて壊れる、まさにそれと同じ事が起きた。

逃げる間などない。ほぼ全員が崩れた瓦礫の中にいた。

(これがバングラデシュ・サバール工場崩壊事故の実話です)

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